美津子つれづれ…「Sumireno Switzerland」

2016.06.15 Wednesday

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    千絵美がskype でスイスのSumirenoのお店を見せてくれました。
    2年前に博美が見てきて「すごくかわいいお店だったよ。ちいちゃん、
    お母さんに見てほしいと思うから行ってあげてよ。」と何度も言いました。

    さっと行ける距離でもないので、ここまで来てしまいましたがskypeとはいえ
    初めて見せてもらって感動しました。

    私たちがすみれフローリストを始めたころはフラワーデザインという言葉すら知られていず
    リースなど借りるものととらえられた時代でした。

    それでもバブル景気に乗って、主人が外交して仕事を取ってくるし
    私の作るウエディングブーケやヘアーオーナメントも口コミで次々注文が入り
    昼は店のお客様の相手をして、花束やアレンジを作り、夜店を閉めてから
    仕事花をするような忙しさで、じっくり店を飾る暇もなく、日々仕事を
    こなすのが精一杯でした。

    千絵美も、幼稚園の時など、店に帰らせ小さなソファーで昼寝をさせたり
    遊ばせたり、手伝いもさせました。お客様が声をかけてくれると
    愛想よく答えて、わたしの中学の時の先生など、千絵美が「先生お写真どうぞ」と
    あげた段ボールの切れ端に描いた先生の顔のおかげで、今でも何かと
    気にかけてくださいます。最近も電話で「あれをもらってから30年だよ」
    と思い出話をなさいました。

    今思えば贅沢な話かもしれませんが、店が忙しすぎて、子供たちに手をかけて
    やれないし自分でも、思ったことと違う方向にいってるような気がして悩みました。

    そんな時、広田せい子さんのハーブの本を読み、憧れて、盗み手間に庭に花を植え
    ハーブを育て毎年北海道から、ラベンダーの切り花を取り寄せ、スティックを作ったりしました。
    そのうち、実家の畑まで借りてハーブガーデンを作り、少しでも時間ができると
    そこに行き、植物の世話をし子供たちとお弁当を食べたり、花やハーブを摘んで帰り
    家中に飾り、ますます体は大変になりましたが、精神的には癒されました。

    今では菫埜に移りその畑も返してもとの茶畑に戻りました。

    もがきながらも必死で生きていました。

    あの頃が今の菫埜の生活の原点であり、そこから持ってきた植物たちが
    菫埜の庭の原点です。

    千絵美は小学校の家庭訪問の時、先生に車庫の屋根いっぱいに咲いた白バラを
    目印に来てもらったことや、先生にお出ししたパイナップルミントパンチのことなど
    細かいことまで覚えていて、話してくれますが、知らない間に私の思いを受けたり
    感じたりしていたのかもしれません。

    千絵美の店には思いを込めて作った大小のリースが、たくさん壁にかけられ
    アンティークや家具とバランスよく色合いの美しいブーケやアレンジ、
    おしゃれにデコレイトされた鉢植物などが並び、道路に面した窓辺には
    私の白い器に、伸びやかに枝物を入れて飾り、アイアンワークのリースやフレームも
    素敵に見えます。

    あのころ私が夢見た店を、千絵美が見事に形にしていました。

    苦労をさせたくなくて店を始める時、大いに反対しましたが、このスタイルを
    飽きずに続けていけば、いつか売り上げも伸びてくると思います。

    博美の入院中私は、「初めてのおつかい」的なことをいくつかこなしました。
    初めて一人で電車に乗りバスを乗り継いで景都の所に行くことができました。
    今度は一人で飛行機に乗ってスイスにだって行けるかも。



     

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